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最近気づいた2つ目のチャンスです。

「フラット化する世界」という本で書いてあることと同じ内容を、
自分なりの解釈に落としただけだと思うのですが、自分の言葉で書いてみます。

近年起きた最大の変化は、数十年前と比べて、ヒト、モノ、カネ、情報、
またその集合体である企業の流動性が飛躍的に上がったことだと思います。

流動性の向上とは、
○ ヒトとモノは、物理的な移動手段の進化により、かつてない低コストと短時間で
  移動が可能になり、
○ カネ、情報はIT技術の進展により、一瞬で世界中を飛び回るようになりました。

これが何を意味しているのか?と言うと、従来に比べて、
○ 魅力あるヒト、モノ、魅力ある地域に、
○ 非常に短期間のうちに、
○ 非常にたくさんのヒト、モノ、カネ、情報、企業が集まるということです。
逆に、魅力がなければ、たくさんのものが逃げていくということだと思います。

具体的には、
○ 昔は日本最高のプロ野球選手でもどこかの地域で活躍していたのが、
   やがて日本全体で統合されたプロ野球界が当たり前になり、
   最近はメジャーリーグに行くのが当たり前になりつつあります。
○ 昔は、どんなに良い音楽でも世界中に広まるのに5年~10年かかったのが、
   今や世界でベストな音楽は、1か月間で何百万とダウンロードされます。
○ 昔は、低コストなモノづくりは、国内の地方工場で行われていましたが、
   今や世界中で最もコストの安い地域に企業が工場を移します。

どうして流動性の向上でこんなことが起こるかと言うと、
○ 情報面では、昔は知ることができなかった外部の魅力を
  短期間にたくさんのヒトが知ることができるようになり、
○ ヒト・モノでは、昔に比べて移動コストが下がったため、実際に遠くまで行って
  その魅力を手に入れても十分に元が取れるようになったからです。

では、これが実際に何を意味するか?と言うと、
○ 個人は、自分に魅力次第で、かつての10倍以上の権力と富を手に入れます。
  かつて日本でトップのデザイナーは、日本の企業から請われ、
  日本市場で服を売り、その対価としておカネを得ていましたが、
  今の日本のトップデザイナーは、世界中の企業から請われ、世界で服を売り、
  その対価を得られるのですから、当然得られるスケールは変わります。
(もちろん現実はこんなに極端ではありませんが、コンセプトはこんな感じです)
○ 地域は、魅力ある人材、資本(おカネ)、企業を呼びこみ、
  その地域の繁栄を作りだすことができます。

繰り返しの内容になりますが、
○ 昔は、各国・各地域がもっと閉じた空間、閉じた市場だったため、
  その閉じた空間・市場内にある人口、資本の量、人材の質などが
  競争上重要だったのですが、
○ 今は、もっとオープンな空間になっているため、人材・資本は魅力さえあれば、
  外部から呼び込むことができ、その地域にもともとあった人口・資本の量や
  人材の質の重要性は相対的に低下してきています。

これが更に何を意味することは、個人・地域共に、勝者と敗者の格差の拡大です。
理由は、シンプルに勝者に集まってくる富と権力の単位が上がるからです。

格差の拡大は、再配分機能により調整すればよいと思います。但し、
○ 個人の格差は、税制度による富の再配分である程度調整できますが、
○ 地域の格差は、現状の世界運営上はほとんど調整機能がありません。
  円借款やら寄付なんて、微々たるものですから。

日本が生活水準を維持・向上させたいのならば、地域として勝者になり、
勝者になる個人の数を増やし、そして富をきちんと再配分することだと思います。

残念ながら、今の日本はこの「近年起きた最大の変化」を捉えてないので、
○ 地域として勝者になる戦略を持っていませんし、
○ 個人レベルでも勝者を増やす教育も行われていません。

世界の中での競争力は下がり続けている状況下で、
○ 勝者になるための競争力の向上という本質的な問題には手をつけず、
○ 現象として起こる生活水準の低下を防ぐために、対処療法として
  将来から借金しておカネをばらまき低下を下支えしているだけだと思います。

今の世界に生きる限り、好きでも嫌いでも、地域も個人も自らの魅力を高めないと
流動性の向上で競争相手が増えているので、生活水準を維持するのは難しくなって
きているのだなあと思いました。
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MBA7か月終了、残り16か月

と題してみましたが、たいして書くことが思い当たりません。
最近気づいた2つの大きなチャンスを書いてみたいと思います。

1. ITの進化と現実世界の進化とのギャップ

最近、アントレ系の授業で、新規ビジネスのアイデアを各チームが考えているのですが、複数のアイデアを聞いていると、ほとんどがITの進化に追いついていない
現実世界のオペレーションを進化させるものです。

言い方を変えるならば、現在普及しているいろいろなやり方は、
IT技術がここまで発達していない時代に考えられたものであり、
その時点では最適なやり方だったのですが、今の技術を前提にすれば、
もっと便利、もしくはもともとの趣旨に沿ったやり方に変更できるものが
たくさんあるということです。

ビジネスアイデアは、各チームの知的財産だとか騒ぐヒトも居るので、
例をあげませんが、例えば、現在の選挙制度などは、大きく変えられますよね。

詳しくは知りませんが、今の選挙制度は、ITが発達していない時代に、一定のコストで民主主義の思想をどう反映させるか?を練って作られたものだと思っています。

でも今は、少なくとも30代以下の人間に限れば、スマートフォンのアプリを作り、
全国区で情報を配信し、全国区で直接投票できるようにしてしまえば、
より低コストで、より直接的に民主主義を反映した選挙を実現できる気がします。

今までの私は、IT発達前の前提で作られた世界に長く触れすぎていて、
そちら側の前提をベースに物事を考えるクセがついていましたが、
思考の前提をIT発達後に変えるだけで、数億~数十億円規模のビジネスは、
何百個単位でごろごろ転がっているような気がしてきました。

ダンスコンペティッションにおける日本の競争力

コミュニケーション力以外に、日本人にとって不利だなと思う要素が2つあった。

一つ目は、動と静の美に対する重きの違いである。
静の美を理解し、高く評価するのは日本+一部アジアに留まると思う。
ヨーロッパ、北中南米、中東・アフリカ、オーストラリアは動の美をより好む。
ということで、日本ならではの静の美は、マルチカルチャーの大会に出ると
評価されにくい。聴衆は自分たちが盛り上がらないものは評価しない。

二つ目は、日本発グローバルの音楽・ダンスなどの文化の少なさである。
僕の仮説では、日本で最も有名な音楽をかけても、外国人は誰も知らないが、
ブラジルで最も有名な音楽をかけると、北米、西欧、オーストラリアに加えて、
それら地域への留学経験のある新興国出身の人間はほとんど知っている。
ということで、日本ならではの有名な曲をかけても、誰も盛り上がらないが、
ブラジルならではの有名な曲をかけると、みんながその曲を知っていて盛り上がることができるのである。世界の人間と本当の意味で共有された文化的要素が少ないことは、スタートからハンデを負うのと同じ気がする。

一方で、ひとつだけ日本人ならではの強みがあると思った。
それは、動と静の両方をともに高いレベルで体得できる能力である。
動は世界トップとはいかないが、一定レベルには十分到達できると思う。
一方で、静の美は外国人には理解できないので、そこまで体得できない気がする。

基本は動の美が評価されやすいので、そちらを中心にダンスを組むのであるが、
その際に動と静のコントラストを使うのである。
このコントラストとそのバランスを極めれば、コンテンツで他を凌駕できると思う。
しかも静の美も動とのコントラストで見せれば、実は外国人にももっと良さが伝わるのかもしれない。

結論として、以下3つが将来のLBSのダンスコンペで日本人が圧勝するカギ。
1. 日本発グローバルと言える音楽などの文化資産を増やす
2. 1を利用しつつ、そこに動と静のコントラストを活用したコンテンツを作る
3. それをきちんとコミュニケートする

ダンスの世界では貢献できないが、政治とビジネスでは日本の強さを確立し、
世界でのプレゼンスを発揮できるように、多少なりとも貢献したいと思う。

LBS文化祭に日本の競争力の縮図を見る

日本人バイアスと、自分ならではのバイアスの両方が入っているとは思うが、
先日の「Tatoo」のダンスコンペは、日本人らしい二位だったと思う。

僕の分析はこうである。
1. まず審査員の評価は審査員がどう受け止めたか?に依存するものである
2. このどう受け止めたか?は2つの要素に分解できて、
○ コンテンツ自体のクオリティ
○ そのコンテンツを「表現して伝える」というコミュニケーション効率
要は、スコア = コンテンツの質 × コミュニケーション効率
みたいなイメージである

たとえ、コンテンツが100でも、きちんと伝えない(半分しか伝わらない)と
スコアは50になり、一方コンテンツが70でもうまく伝えればスコアは70になる。

日本人チームは、パラパラを踊ったのであるが、
ダイナミズムと集団美と一瞬の輝きというコンテンツ面では、
優勝したインドチームよりよかったと個人的には思う。

でもインドチームを見ていて思ったのは、コミュニケーションのうまさである。
今日初めて気づいたが、ダンスも要は聴衆とのコミュニケーションである。
仕事で行うプレゼンテーションとほとんど同じだと思った。
相手の反応を見ながら、コンテンツの出し方を変えていく。
もしくはコンテンツを120%伝えられるように、プレゼンテーションを組み立てる。

日本には昔から、言葉によるコミュニケーションを重視しない文化があった。
「武士道」、「沈黙は金」、「背中で語る」、「良いものを作れば売れる」などは
全て、言葉で伝えないのが美徳とか、もしくは伝えなくともわかるだけの
圧倒的クオリティーのコンテンツを創れという考え方があると思う。

ただ日本人は別に、圧倒的に優秀な民族というわけではないと思う。
なので圧倒的コンテンツで他を凌駕するというのは、現実には起こっていない。
むしろコンテンツでは十分な勝負ができるのに、それを伝えきれずに、
もったいない思いをすることが多いと感じる

日本の美徳を失う必要はないし、別に雄弁になれとは思わないが、
少なくともコンテンツを伝えきれずに負けるのは、なんとか避けたいなと思う。

戦うからには勝つために、伝え方を工夫するか、もしくは伝えなくても勝てるほどのクオリティを出すべく、今まで以上に鍛錬を積むべきだ。

団体競技の喜び

ひさびさに団体競技に参加した。
LBSの文化祭「Tatoo」の中にある、ダンスコンペティッションである。
要は、各国・各地域対抗でダンスを披露し、順位を競うイベントである。

あまり意識したことはなかったが、私は運動系の団体競技が好きなようだ。
考えてみると好きな要素が3つあって、
1. 体を動かす競技ならではの、興奮・わくわく感・ダイナミズムから来るもの
2. 団体・チームの競技には、集団ならではの「美」に通ずるもの
2. 競争であることが作りだす、鍛練を結晶化して、一瞬の輝きに変える、
「マグマの爆発」と「線香花火の輝き」を足して割ったような「瞬間美」なるもの
がある気がする。

うまく、言語化できないところに自分の文学センスの無さとコンサルタントとしての
言語化能力の低さを感じるが、なんとかイメージが伝わればいいなと思う。

そして、これは万人に共通する感覚なのだと思った。
だから、世界中で団体競技のスポーツがあれだけヒトを魅了できるのだ。
自分はスポーツ競技のプロフェッショナルにはなれないが、
あの世界で輝くヒトにはずっとあこがれていいる。
きっと自分が人生で感じる達成感の1万倍くらい凝縮された喜びを得るのだろうなあと。

話は変わるが、凝縮された喜びでふと思い出したことがある。
10代の時から、人生で大きく4つの領域に関しては、それぞれ一度で良いから全力で自分を投下する時期を作りたいなと思ってきた。
それは、学問と仕事とスポーツと芸術(美術とか音楽とか)の4つである。
きちんと考えたわけではないが、なんとなく、その4領域にはそれぞれ、
自分の人生を捨てて、狂気と思えるほどにすべてを懸けるヒトがいる気がする。
だからそこには、何か普通のヒトでは気づかない魅力が眠っているのだろうと。
そしてその片鱗に少しは触れてみたいなあと思うのである。
言葉を変えれば、なぜそこまで惚れ込むヒトがいるのか?という問いに、
自分の実感を持って納得したいなあと思っています。

まだ芸術は全く触れたことがなく、なるべく早いうちにバイオリンかピアノを
始めたいが、まだまだ予定は未定なのでした。
プロフィール

Author:ThisisthewayIam
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